田中工務店(香川県高松市)は、経営的な危機感を起点に、高性能住宅への技術転換と計画的な事業承継を同時に進めてきた地域工務店である。住宅市場の競争激化と人口減少という逆風のなかで、同社は「地域に根ざす工務店が生き残るには技術で勝つしかない」との信念を掲げ、標準仕様をパッシブハウスの水準へと引き上げた。技術革新と組織承継を一体で進めることで、地元の信頼を守りながら新たな成長基盤を築いている。【編集部 峰田慎二】
所在地:香川県高松市上天神町686-1
創業:1955年(法人化:1997年)
社員数:7人(全員が省エネ建築診断士)
年間受注棟数:新築8~10棟、リフォーム約90~100件
新築平均単価:約3800万円

2025年1月の社長就任から10カ月を迎えた結城研太さん(左)と、創業家の二代目である田中浩一会長。結城さんのもと、技術を基盤とした経営への舵切りが加速している
田中工務店は1955年、高松市で大工棟梁・田中一太郎さんが創立した。現会長の浩一さんは幼少期から父の現場に立ち会い、「コツコツやることの大切さ」を学んで育った。大学卒業後は地元ゼネコンで15年間現場監督を務め、一級建築士を取得したのち、1995年の阪神・淡路大震災を機に「命を守る家を建てる必要性」を痛感し、1997年に38歳で家業を法人化。父の事業を再始動させた。
田中浩一さんが事業を引き継いだ当時、先代の一太郎さんはすでに引退を決めており、事業は小規模なリフォームを手がける程度の状態。浩一さんは設計や営業の経験がなく、個人の顧客へのアプローチ方法も手探りだった。
ローコスト系の住宅FCに加盟し、新建材を中心とした普及価格帯住宅を手がける時期が長く続いたが、厳しい価格競争のなかで元請けの新築は不振が続いた。やむを得ず下請け工事を請け負うことも多く、利益が出ない案件が重なった。
施工トラブルに伴う負担で赤字を抱え、経営危機に直面したこともあり、「良いものをつくっていればやっていける」という職人気質が通用しない現実を痛感したという。
このままでは会社が立ち行かないと感じた浩一さんの頭に浮かんだのは「原点回帰」だった。阪神・淡路大震災の衝撃から「強い家」「倒れない家」を建てたいという思いを再確認し、2005年に「がいな家」ブランドを立ち上げ、(※「がいな」は讃岐弁で「強い」という意味)同年3月にロゴマークを商標登録。理念の再定義を通じて、職人経営からの脱却を図った。
ブランド立ち上げを機に、浩一さんは次世代を社内に育てる必要性を痛感し、若手人材の採用と育成を進めた。その流れの中で06年、高校の建築科を卒業して入社した社員の一人が、現社長の結城研太さんだった。
技術転換と後継者の覚醒
がいな家ブランドを掲げたものの・・・
この記事は新建ハウジング11月20日号5面(2025年11月20日発行)に掲載しています。
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