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「私の役目は、山梨で一番の大工集団をプロデュースすること」―。そう語るのは丸正渡邊工務所の4代目、渡邊正博さん(49)。社員21人中9人が社員大工という異色の体制で、職人集団としての矜持を貫きながら、元請けへの転換と自社設計体制を実現。 分業化の進む業界にあって、技術の継承と経営の持続可能性を両立している。
四代目、異業種からの転身
同社は大工業として大正後期に創業。三代目・正俊さんが1986年に会社を継承。個人事業主の大工職人を束ね、ゼネコンの木工事案件を受注してきた。
正俊さんの長男・正博さんは、事務所併設の自宅で多くの大工とともに育ち、高校卒業後は慶應義塾大学理工学部へ。卒業後はホテル・旅館業でキャリアを積んだが、2009年、還暦を控えた父から初めて「継がないか」と打診を受ける。
迷いはあったが「自分が継がなければ3代続いてきた会社がなくなるかもしれない」との危機感と、それまでの社会人経験で得た自信、さらに妻の理解も後押しし、継承を決意。翌年、退職して専門学校で建築をゼロから学び直し、経営も現場も準備した上で12年、同社に入社。16年に四代目として代表を継承し、新たな体制を築いた。

丸正渡邊工務所のメンバー。社員大工9人、設計職4人を擁する21人体制。ゼネコンの下請け9割から注文住宅の元請け主体へと事業構造を転換。10数年で大きな刷新を遂げた
下請けから元請け転換
正博さんが入社した当時、ゼネコンから受注した木工事が売上の9割を占めていた。取引先が県内外の数社に限られ、景気変動や手形取引による資金繰りの不安を常に抱えていた。
そこで、まず着手したのは大工の社員化。中心的に働いていた20〜50代の職人に声をかけ、5人が誘いに応じた。社会保険や人件費の増加というリスクはあったが、技能の社内蓄積と持続的な育成体制を優先した。
その後も経験者の受け入れを続け、18年には初めて新卒の大工(甲府工業高校卒)を採用。以降、2年に1人のペースで新卒採用を継続しており、現在は10代から70代まで、計9人の社員大工が在籍。各世代がバランスよくそろい、若手と「古強者(ベテラン)」の自然な交流と技術継承が進んでいる。
もう一つの転機は・・・
この記事は新建ハウジング8月20日号4面(2025年8月20日発行)に掲載しています。
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